

まちのどまんなかで狩りの遊び
こんにちは、おかむ~です。 普段円山公園の一角で「プレーパーク」というだれでも気軽に参加できる遊び場の活動を行っているご縁で、この夏コタンペップロジェクトのお手伝いをしています。 9月17日、歩行者天国のイベントに出展したプレーパークの中に、コタンペップロジェクトの狩りの遊びゾーンを設けたところ、SIAFカラーに彩られた遊び道具は、街ゆく人の目を惹き、たくさんの子どもたちが遊んでいきました。 アイヌの人々が遠くで狩りをする時に使った小屋「クチャ」(今回は今時らしく?!銀紗で覆ってあります)につくった的にめがけて、弓矢を放ちます。やってみたい子が長蛇の列をなしていました。 二股の枝やシカの角で輪を受ける投げ輪遊びは、何度も繰り返し遊んでいく子どもたちの姿がありました。 けん玉は、なかなか難しかったけど偶然性を楽しめましたよ。 アイヌの子どもたちは、このような遊びを通して、将来の生業の技を自然と身につけていったそうです。子どもは大人の真似事が大好き。真似ることを楽しむ中で、生活の知恵をたくさん学んでいます。まじめな遊びも、ふざけた遊びも、時間を忘れて
突然ですが…
みなさんは、自分が日本人だという事を意識しながら生活していますか? なぜいきなりこのような出だしで始めたのかというと… 「アイヌと日本人とは何が違いますか?」 「今も残っているアイヌの伝統的な文化はありますか?」 「アイヌの風習の中で特に好きなものはありますか?」 そんな質問がいつも私を悩ませているからです。 ふだん自分の出自を意識して暮らすなんてなかなかないですよね。 でも、アイヌだというだけで、何か特別な思いや意識があるんじゃないかと思われる事が多いのです。 もちろん、なくはないです。 特別な思い。 意識。 でも、過剰な期待を抱いて質問されても、相手の思うような答えは出せません。 きっと、「自然と共に生きて、争いをしない」「自身の文化を大切に、誇りを持って生きている」そんな答えを望まれているのでしょう。 でも、言えるかなぁ、そんな事。 望まれている答えが分かった上でその通りの事を答える事に意味なんてあるのかな。 自然と共に生きてきたのは世界中どこの民族も同じ事。 時代の移り変わりと共に環境が変化して、現代的な生活になっただけ。 それなのに、ど